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家を買いました。

【家を買いましたシリーズ3.とうとう…】
過去日記からの抜粋です



とうとう、家を買う
契約書にサインをしてきました。

家は庭付き一戸建て3ベッド&3バスルーム
高台の家は以前住んでいた場所よりもずっと
涼しく、家の前から少し海も見える。

そこは私が留学生の頃、こんなところに住みたいと
思っていた憧れの土地。

家の周辺は木々や花と緑で溢れていて
通りも手入れが行き届いていて清潔できれい。

夕方になるとウォーキングをする人達、
お散歩をする人達、
環境もいい。

ずっと憧れていたエリアに
住めることになったのは
私には夢みたいな事なのですが、

こんな時、
新婚時代を思い出す...(-.-)

私達の新婚時代のスタートはハワイ。
ダンナ23歳、私2?歳でした。
(年上女房)

あの頃の私たちの生活を思い出すと
物件の高いハワイで家を買うなんて、
夢の又夢でした。

結婚当初、私たちが食事を
していたテーブルはなんと、
30ドルのプラスチック製の
ピクニックテーブルの上。

あるでしょう?
真ん中にパラソルを建てて屋外で
使うテーブルが。

片方にひじで重みをかけると
テーブルが持ち上がって
向かい側のお皿が滑ってきた。

リビングではソファーのかわりに
私のルームメイトが置いていった
シングルベッドのマットレスにカバーを
かけて二人で座っていました。

所詮ベッドなので、
すぐにゴロリと横になってしまって
気がつくと眠りに入っていた。

それからカルフォル二ア(CA)
に越した時は
ベッドもテレビも売りさばいて行ったから、

家具も何も無い空っぽの家で
私は呆然と立ちつくした。

ダイニング、ソファー、ベッド、
全部セットで数千ドルの安い家具を
何もないアパートに買ってもらって
幸せだったあの頃。


あれから、いくつもの季節が過ぎて…

あの時の家具達はもうこの家には残ってはいない。
私が働き始めてからローズウッド製の家具に毎年、
1つずつ買いかえていった。


貯蓄ゼロに近い状態から
家が買えたのはダンナの「勘と運」のおかげ。

ハワイは土地の広さが限られているので
土地が高く、購入にもまとまった
頭金が必要だった。


そんな私たちに家が買えた理由は
旦那がカルフォル二アに買っていた物件が
3倍という恐ろしい価格に上昇したから。

旦那、若干23歳の新婚生活時代、
突然、家賃を払うことが
もったいないから家を買いたいと言い出した。

私は大反対だった。

だって、頭金もない若い旦那が
家を買うなんてとんでもないって思ったから。

泣いて抗議しました。

しかし、
旦那に押されて仕方なく決断。
旦那が買いたかった治安の悪い地区で
比較的大きな家はなんとか断念させて、

私の選んだ治安の良い地区の小さな家に
決めてもらった。

だけど、本当に小さな築20年のタウンハウスで、
周囲はお年寄りばかりが住んでいました。

小さいけどガレージもついていて、
タウンハウスの敷地の中には
プールやジャグジーもあって
住み心地は決して悪くなかった。

そこで3年ほど暮らし、私達はその家を
貸してハワイに引越しをしてきたのです。

老後はまたここに戻ってこようねと、
売るつもりはなかった。

まさか、この大反対した小さな家が
その数年後に

“大判小判”に変身するとは
思いもよらなかったから。

もともとその地区は奥に入ると豪邸が
立ち並ぶような地域だったのですが、
私達が引っ越した後に
土地の価格がぐんぐん上昇した。

ある日、
その土地の友達から電話があり、

「不動産が急上昇してるわよ、
家を買っておいて良かったわね。」
と聞いた。

ネットで調べてみると
なんと買った時の3倍の値段に
なっていた。

たった数年でこうも変動するものかと
アメリカの恐ろしさを知った。

それで

売る予定ではなかったあの家を売って
ハワイに家を買うことになった。

そして、ハワイに家を買って
約数ヵ月後にそのハワイの家も
買った時の倍額に上昇した。

おそるべきアメリカ。

二倍になったことと、
まとまった頭金を入れることが
できたことで、
ハワイの家を売ると、
ローンは残らない。

たぶん、小さい家が一軒
キャッシュで買えるお釣りが
来る。

“君達は運がいいね”
と周囲の人に言われるけれど
まったくその通りだと思う。

家の売り買いが頻繁に行われる
アメリカでは家の購入も投資と同じで、

この物件は将来値が下がるか、
それとも現状維持か、
それとも上昇するのか。
買う時にそれを見極めることが大切。

若い夫婦でも、こうして一夜にして
まとまったお金を手にすることが
可能なのです。



新婚時代から今まで、
年齢と共に収入も少しずつ
増えていき、私たちの生活は
上昇していった。

ある日友達と買い物に行った時、
「食料品の値段を見ないで
かごにどんどん入れるのね」
と言われて、

ふと思い出したことがあった。

実はいつも同じものを
買っていて、値段を知っている
から見てないだけだったのだけど。

新婚時代は値段を見ないなんて
ことは絶対になかった。
たとえ値段を知っていても見ていた
と思う。

1ドルでも、50セントでも
少しでも安く買う必要があったから。

あれから
長かったような、
短かったような。

両方とも親からの助けはゼロ。
何もないところから、家をもてたこと。
少しでも残せる財産が出来たこと。

これからも少しづつ
向上していける未来がもう見える。

結婚したばかりの時は
ただ、彼のことが「好き」だった
だけで、将来のことは何も見えなかった。

最初は国際結婚は大変なのかなと
不安もある程度あって
身内のいない海外で本当にやっていけるのかな?
と心細くなる事もあった。

だって、
日本にいた頃は親のすねっかじりだった私。

長女の私は将来親の仕事を手伝う事になっていて、
きっと家の頭金や家具も親が用意してくれて
苦労のない生活をしていたのかもしれない。

でも、海外に出てしまった私には何もなかった。
親を裏切ったような気になって、入籍を半年も
親に話せなくて黙っていた悪い娘。

だから私は結婚式さえもしていないのです。
2人で写真を撮っただけ。

結果は、何も特別な事ではありませんでした。
逆に2人の為には誰の力も借りなくて
良かったとさえ感じる。

笑顔で写る二人の結婚記念写真をふと眺めると、
結婚式をしなかった事さえも、
今は懐かしい想い出になっていたから。

どんな結婚でも二人が健康で
いつも夢に向かって真面目に進んでいけば
きっと幸せをつかめると今なら信じられる。

何もなかった新婚時代を思い出してみる。

あの時は確かにお金も質の良い家具もなかったけれど
夢だけは一杯あって、幸せだった気持ちは
今と何も変わっていなかった。

ある程度のお金は確かに幸せな生活をする為には
必要なのかもしれない。
でも、幸せは物質でもなく、大きな家が
運んできてくれるわけでもない。

家族が「健康」で「夢」をもって
「思いやり」を持ちながら生活すること。

広い家で欲しいものも
ある程度は自由に買える様になった現在も、

小さなアパートで節約をモットーに
プラスチック製のテーブルの上で
食事をしていたあの頃も、、、

私の「幸せ度」は全く同じだったのです。

ダンナもきっと同じだと思う。

誰の助けも借りず、
何もないところから2人だけで1つ1つ築き上げて
作った幸せは私の一生の宝物になるはずだから。

2人で力を合わせて少しずつ、
夢をかなえていきたいと思う。

どんなに大きな喧嘩をしても、
2人で作った歴史には重みがあると思うから
簡単に壊れないはずなのです。

昔の彼からの名言


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